所報7月号
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20コラム『坂の上の雲』のまち松山『坂の上の雲』のまち松山 今回の解説板は、「秋山好古の墓」です。秋山好古は、北予中学の校長を辞任後、上京していましたが、昭和5年11月4日に永眠します。享年71歳でした。東京で葬儀を行った後、秋山家代々の墓所がある、道後、鷺谷墓地に埋葬されました。この鷺谷墓地は、道後温泉本館近くの高台にあり、あたりを一望することができる場所です。 この鷺谷墓地には、秋山好古だけではなく、多くの偉人が眠っています。その中に、鷺谷墓地へ向かう石碑にも記されている、上海事変の停戦に尽力した、白川義則陸軍大将がいます。白川義則は、松山の出身で、秋山好古の薫陶を受け、葬儀の際には葬儀委員長を務めた人物です。「偉くなろうと思えば邪念を去れ、邪念があれば邪慾が出る。邪慾があっては大局が見えない。邪念を去るということは、偉くなる要訣だ」という秋山好古の白川義則に対する言葉は今でも名言として語り継がれています。また、白川義則の妹は、済美高校の創立者である船田操女史です。教育者としての秋山好古との不思議な縁もあるようです。 道後の高台に眠る多くの偉人たちは、今の松山をどのように眺めているのでしょうか。COLUMNコ ラ ム

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