所報7月号
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今回の解説板は、城北練兵場跡です。奇遇にも、本コラムの掲載回数と同じ、愛媛の郷土連隊、松山歩兵第22連隊の練兵場があった場所です。現在の鉄砲町の駅から東北方向、広さは23万平方メートルもあったようですが、道端に建立されている「陸軍省所轄地」と刻まれた石碑だけが跡地を伝えています。 当時、夏休みには、この練兵場で伊予尋常中学校(松山中学校)のバッティング練習が子規の指導で行われていました。野球王草の花練兵場は荒れにけり 【第22回】国「松山」が築かれた礎の地とも言えそうです。そして、日本の俳句界を革新した子規、その門人である河東碧梧桐と高浜虚子の3名の出会いを演出した場所でもあります。俳句ではなく、野球が3人を引き合わせました。 表題は日清戦争が終わった明治28年に子規が詠んだ句です。世間が戦勝を祝う中、子規は、野球で汗を流した練兵場を見て、何を感じたのでしょうか。 ■城北練兵場跡コラムコラム23

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