所報7月号
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The winds of Matsuyama松山の私が考えるこれから テレビの「水戸黄門」で「これが目に入らぬか…」とかざした印籠の紋は「三つ葉葵」という皆様ご存知のシーン。 家紋は平安時代の初期に始まったと言われています。公家はきものに各家の紋を示していたようです。そのため、紋は所有権を示すものでした。室町時代には、家紋を着物の両胸にそれぞれ一つ、背の中央に一つ、両袖のうしろにそれぞれ一つ、計五つを付けていました。これが今日の紋付き「きもの」、羽織の五つ紋付きの原型です。現代の男性用の紋付ききものと袴も五つ紋付きです。この紋は飾りとしてではなく、家の標第4回 「家紋」の文化章でした。 江戸時代になり、家紋の小型版の紋が装飾的で自由に使われました。武士の場合、それぞれの家柄に伝わる小紋模様が定められ、大名たちは「定め紋」を持ったのです。紀州家は鮫の紀州小紋、鍋島 紋章の使用禁止令はなく、町民から農民までが家紋を持っていました。家紋はその家の標章であったので、昔は、嫁入り道具の調度品から衣服に、生家の家紋をつけて持参しました。いまでは、調度品にまで家紋をつけることは無くなりましたが、衣服には生家の紋をつける習慣が残っています。(最近は婚家の紋をつける習慣になりつつあります。) 江戸時代の離婚法度書には、女の所有物を勝手に持ち出して紛失のときは、生涯離縁まかりならぬと言う条文があります。江戸時代、亭主の道楽とわがままに困った女性が、自分の持ち物を質に入れて「夫が私の物を勝手に入れました」と言って、憂さを晴らしていたようです。女性の権利が低かった時代、女性から離婚はできなかったためです。 そんな「歴史」を歩んできた「家紋」をもう少し大切に扱い、文化を語れる日本であって欲しいと思います。「家紋」の始まりと着物の関わり女性にとっての「家紋」の役割家では鍋島小紋(ゴマ柄紋)、徳川家は松葉の柄を染めた小紋、加賀前田家は菊菱と小紋の模様が定められ、一般の使用は禁止でした。副会頭藤堂 勢治(有限会社塩屋呉服店 代表取締役)家系、血統、家柄等を示す「家紋」。今日まで息づいているこの日本固有の文化は、いつどのように始まり、受け継がれてきたのでしょうか。コラムコラム6

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