所報7月号
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坂本 光司/さかもと・こうじ1947年生まれ。福井県立大学教授、静岡文化芸術大学教授などを経て、2008年4月より法政大学大学院政策創造研究科(地域づくり大学院)教授、同静岡サテライトキャンパス長および同イノベーション・マネジメント研究科兼担教授。ほかに、国や県、市町、商工会議所などの審議会・委員会の委員を多数兼務している。専門は中小企業経営論・地域経済論・産業論。著書に『日本でいちばん大切にしたい会社』(あさ出版)、『この会社はなぜ快進撃が続くのか』(かんき出版)など。法政大学大学院政策創造研究科 教授 坂本光司快進撃企業に学べ聞いた全国各地の困り果てた有力企業から、次々に注文が舞い込み、今やその取引先は200社以上にのぼる。そうしたこともあって業績もすこぶる高い。 小さな企業でありながら、世界有数のメッキ屋になれた最大の要因は、現社長である深田稔氏の経営の考え方・進め方にあったといえる。ちなみに深田社長は、次男ということもあり、大学卒業後に大手菓子メーカーに就職していた。しかし、創業者である父親の急逝、そして後継者として入社していた兄の体調不良とが重なり、急きょ呼び戻されたそうだ。 後継者として、苦戦していた会社を再生するために入社したが、職人気質の強いメッキ技術者と、理不尽な要求を強要する取引先との狭間で、胃に穴が開くような毎日だったという。どちらからも信頼・信用を勝ち取るためには、社長自身が社員を上回るほどのメッキ加工技術を保有するとともに、会社としても値付けのできる、独自のメッキ加工技術をつくる以外にはないと考えた。こうして深田社長は、現場に入り、メッキ職人に頭を下げ、真摯(しんし)に教えを乞うとともに、何度も大学や公設試験研究機関の研究室を訪問し、研究を続けた。こうした努力が今、売りとするいくつもの独自技術の開発につながった。そしてこれらの大半は、深田社長と当社のメッキ 東京都の墨田区に「深中メッキ工業」という企業がある。主事業は社名の通りメッキ処理業で、社員はわずか9人だ。下町の、小さなメッキ屋であるが、同社の存在は、わが国のモノづくり中小企業が今後、生き残っていくための方向性を教えてくれる。 多くの関係者から注目されているゆえんは多々あるが、その最大の要因は、同社が創造・確保した高度なメッキ処理技術にある。メッキを施す部品は、年間数億個以上だが、その中にはなんと、世界シェアNO.1の部品もある。 ちなみに、世界シェアNO.1部品の一つは、複写機のトナーカートリッジで使用する部品である。これは曲線が多い複雑な形状をした直径10㎜程度の金属部品。この上に、さび止め用のクロームメッキを1000分の1㎜以下の均一性で極薄のメッキを施している。 こうした高度な表面処理加工技術を保有していることもあり、うわさを職人が一体となって創造・確保したものである。このことを深田社長は「私はメッキのど素人だったからこそ、固定観念にとらわれず、さまざまな方法を抵抗なく試すことができた。これがよかったのかもしれません」と振り返った。深田社長は、こうして自ら現場に入るとともに、経営者として社員の幸せを念じた仕事を続けてきたのだ。小さくても、唯一無二の技術を持つ『深中メッキ工業』vol.34コラムコラム16

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