所報9月号
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初代内閣総理大臣を 生み出した伝説の山  今回のコラムは、四国八十八ヶ所第50番札所・繁多寺の北東にある「淡路ヶ峠」です。戦国時代、河野氏の道後湯築城の砦が築かれていました。砦の城主が河野氏家臣・林淡路守通起であったことから、淡路ヶ峠(あわじがとう)と呼ばれています。 豊臣秀吉の四国侵攻により、河野氏は降伏、林氏は今の山口県に移り住みますが11代目の子孫は初代内閣総理大臣のを訪れることはありませんでした。意外な、愛媛に縁のある人物です。 山頂へは、駐車場から、20分程歩けば登ることができます。山頂には松山平野が一望できる立派な展望デッキがあり、松山市街はもちろんのこと、砥部、松前、伊予市、瀬戸内海の島々などが見渡せます。伊藤博文が碑を建てていたら、また、違う山の歴史があったのかもしれません。伊藤博文になります。伊藤博文は明治42年、三津浜に上陸し、道後に宿泊しています。その際に淡路ヶ峠を見て「私の血の中には伊予人の血が脈打っている」「来年、再訪し、先祖の供養をしたい」と語ったそうです。残念ながら、同年に暗殺されたため、その後、松山第9回「淡路ヶ峠(273m)」コラム22

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