所報10月号
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明治38年創業松 屋     これからもお客様に愛され続ける店を目指し、歩んでいきます。伝統の味を受け継ぎ「細く長く」110  松屋は、明治38年、現在地で米屋として創業した。大正初めに、旅館と食堂を始めたが、当時は現在の本町通りもなかったとか。馬車に乗り、木屋町から城下に向かう人々がひと休みするために立ち寄り、お店は賑わったそうだ。昭和に入り、戦災でお店は焼けてしまったが、終戦後の昭和21年に再建。この頃から仕出しを手がけた。 現在は飲食店として、松山のソウルフード「鍋焼きうどん」をはじめ、寿司等も提供しており、当会議所会員創業記念表彰を受賞された会員のみなさんをご紹介します。その味には自信がある。東京や大阪からの帰省客がお土産に松屋の巻きずしを買って帰ることも多いとか。常連客が多く、近隣の学校を卒業した人たちのリピーターもいる。昔ながらの味を受け継いだ家庭的な味が特徴だ。 「繁盛しても、儲けた記憶も大損した記憶もない。」と現代表の4代目となる松原紘一氏は振り返る。飲食店が増加し、競争が激化する時代を迎えているが、材料費を惜しまず、衛生面に気をつけ、「細く長く」を伝統に取り組んでいる。変わらぬ味と人情溢れる接客で、これからも地域の人々の胃袋と心を満たしていく。メッセージ創業 周年事業所概要代表者:松原 紘一所在地:松山市本町7-117TEL:089-922-8555大正4年創業(医)団伸会 奥島病院最善をつくす信頼ある病院として、献身と寛容の心で行う医療と介護を継続してまいります。昭和33年頃の奥島病院地域の医療を守り続けて100年100メッセージ創業   周年事業所概要代表者:奥島 伸治郎所在地:松山市道後町2-2-1TEL:089-925-2500 地域の医療を守る奥島病院が100周年を迎えた。大正4年、当時外科の専門病院がなかった松山に、奥島愛治郎氏が一番町に奥島外科病院を開設。愛治郎氏は外科の名人として知られており、事故により足に重傷を負った際に、自身で足の手術を行ったという伝説が残されている。その後、戦災で病院が消失し、梅津寺に診療所として移転した後、昭和29年に2代目・團四郎氏が現在地にて病院を再開した。 平成13年に代表を引き継いだ3代目となる伸治郎氏は、医者として患者の治療に専念し、他の事業に手を出さず、休みなく働くことで、先代から続く「地域の医療を守る」という責務を果たしている。松山を極力離れないように予定を組み、何かあったらすぐに駆けつけられる体制を整えている。また、救急病院が減少している中で、愛媛大学病院と連携しながら救急医療も守り続けている。 これからも救急医療を継続しつつ、地域包括病棟を充実させ、大学病院や地域の開業医と連携しながら地域の医療を守るために邁進していく。まつやまの老舗会員トピックス23

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