所報10月号
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<第1号> 昭和28年1月1日<第200号> 昭和46年2月5日<第300号>昭和55年5月15日<第400号>平成元年8月5日<第500号>平成12年10月5日<第600号>平成19年9月5日<第700号>今回の700号発刊を機会に、所報再刊1号から今号に至るまでの歩みを、記念号の内容とともに振り返ります。所報は、昭和28年1月に、第15代会頭・白方大三郎氏によって再刊されました。新聞型で作成されており、以後平成12年までこのスタイルで発刊しています。記念すべき第1号では、白方会頭の年頭挨拶を掲載しており、国体誘致による大行事の歓迎準備を進めると共に「この好機、逸すべからず」と記されています。200号は、第17代会頭・末光千代太郎氏の時代に発刊されました。当時、松山では大型店舗旋風が起こり、商工会議所が協議の調整役を担っていました。紙面では、その会議の様子が掲載されており、臨時常議員会で対策を練っている記事が掲載されています。600号は、現行のA4サイズで、第23代会頭・大亀孝裕氏の時代に発刊されました。第42回松山まつりの開催報告として、雨の中、3日間で6,800人が躍動したと掲載されています。現在もお馴染みの「この人に聞く」、「松山の老舗」、「NEW」のコラムも始まっています。300号は、第19代会頭・新野進一郎氏の時代に発刊されました。紙面では、会員事業所の様々な経営相談に対応する体制を紹介し、利用を呼びかけています。また、初めて5,000会員を超えたことから号外を発刊し、新野会頭からのお礼の挨拶とともに入会した事業所を全て掲載しています。400号は、第20代会頭・桝田三郎氏の時代に発刊されました。前年に瀬戸大橋が開通しており、「瀬戸内新時代を考える懇親会」が47会議所の正・副会頭ら出席のもと開催され、四国を代表して桝田会頭が挨拶したとの記事が掲載されています。また、市制100周年を記念して実施された第24回松山まつりの号外が同封されています。500号は、B5サイズの特集号になっています。第22代会頭・水木儀三氏の時代に発刊されました。翌年に全線開通予定であった「しまなみ海道」に関連したイベントの紹介やインターネットのビジネス活用法を掲載しています。松山商工会議所報 700号までの歩み<300号 号外><400号 号外>未来へ…700号記念3

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