所報2月号
25/28

 今回の表紙絵は、重信川の支流、久谷地区に流れる御坂川(久谷川)です。この地区は、谷に沿って南北に長いことから、「久谷」と名付けられたと伝えられています。表紙絵の「出口橋」の付近は、土佐街道の三坂峠と久谷地区の分岐点にあたります。古来、伊予から土佐への公道は二つあり、一つは、旧川之江市から、もう一つが、この道筋でありました。城下につながっていたことから、殿様道とも呼ばれていました。また、三坂峠は、当時の馬子唄で往復に一昼夜かかると歌われるほど、険しい峠だったようです。 川沿いには、浄瑠璃寺、八坂寺があり、出口橋のたもとには、遍路道を標す石碑やシールが貼られていました。また、酒造りの土蔵を芝居小屋に改装した「大黒座」もあり、歌舞伎など、大衆文化の継承も活発に行われているようです。子規もこの遍路道を歩き、「旅人のうた登り行く若葉かな」と句を詠みました。 さらに歴史を遡ると、この一帯には遺跡が広く展開していると発表されています。(埋蔵文化財センター調査2016)遺跡調査によって弥生時代から古墳時代にかけての集落も発見されています。 古の時代から、多くの人が通った道に沿って流れる川。形は変われど、今も、歴史と文化を今に伝える役割を担っています。第2回「御坂川(久谷川)」古より土佐に続く道に沿い歴史と文化を今に伝える川古より土佐に続く道に沿い歴史と文化を今に伝える川コラム23

元のページ  ../index.html#25

このブックを見る