所報3月号
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 今回のコラムは、砥部地区に流れる砥部川と衝上断層です。砥部川は、重信川の支流になりますが、岸辺や水底に、白磁やインディゴブルーの陶片が見えるなど、まさしく、焼物の街を流れる川です。砥部焼の素晴らしさは、子規も「砥部焼の 乳の色なす花瓶に 梅と椿とともに 活けたり」と歌いました。砥部川は、陶工たちの日々の営みを包み流してきた川でもあります。 中流には、国の天然記念物に指定されている「衝上(しょうじょう)断層」があり、地質学的に日本列島の生い立ちを調べるのに大変重要な存在となっています。この断層は、中央構造線という日本最大の断層の一つであり、大正10年頃に発見されました。中央構造線は、明治政府に招かれ、東京大学地質学教授であった、日本のナウマン像の化石の名付け親である、ナウマン博士がつけた名称です。砥部川の河床に見られる中央構造線を境に北側には約6500万年前、南側には約4000万年前の岩石が分布しています。 断層に整備された公園は、桜のスポットとなっているほか、松山市内をはじめとした、小中学生の遠足の目的地として親しまれています。訪れる市民に、人が生まれるよりずっと前の地球の古い歴史を現代に伝えています。第4回「砥部川・衝上断層」地球の歴史と自然の雄大さを現在に伝える川と断層地球の歴史と自然の雄大さを現在に伝える川と断層コラム23

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