所報5月号
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明治時代のふなや寛永3年創業(株)時の名所 「ふなや」これからも、道後とともに、善(準備・努力)をかさねてお客様をお迎えいたします。390 「はじめての 鮒屋泊まりを 時雨けり」 夏目漱石が松山中学校に赴任中、かねてから楽しみにしていたふなや(鮒屋旅館)に宿泊し、その喜びを表現した句である。 ふなやは390年前の寛永時代に創業。道後温泉本館近くで旅館を営んでいた。大正時代に区画整理のため、藩士の邸宅跡であった現在地に移転した。また、現在の庭園は、明治時代に紅葉の名所として地元の人によって整備されたもので、四季折々の花が楽しめる。当会議所会員創業記念表彰を受賞された会員のみなさんをご紹介します。 昭和時代に入り、当時は珍しい洋館を建てるなど、伝統を保ちながら新しいことに挑戦してきた。昭和天皇をはじめとした皇室をお迎えし、当時の大理石の暖炉やステンドグラス器類は、館内に再現して、展示している。 ふなやは、正岡子規、夏目漱石など文人墨客・著名人に愛されてきた。近年では俳句をコンセプトに伊予・道後を満喫していただく「俳句ラウンジ」を設けて、お客様をおもてなししている。今年は夏目漱石・正岡子規生誕150年を迎えるため、新しい企画も予定する。これからも、伝統を重んじながら新しい風を提供して歴史を刻む。メッセージ創業   周年事業所概要代表者:鮒田 好久所在地:道後湯之町1-33TEL:089-947-0278明治9年創業(株)愛媛新聞社地域の課題と真摯に向き合い、取材や報道に加え、解決への方策を提言する「当事者として地域に貢献する新聞社」を目指します。地域を考え、貢献する新聞社140メッセージ創業   周年事業所概要代表者:土居 英雄所在地:松山市大手町1-12-1TEL:089-935-2111 「地域の総合情報センター」として、朝刊を軸に地域に役立つ情報を発信する愛媛新聞社が140周年を迎えた。 明治9年9月11日に共耕分社(東京・共耕社の松山支店)が「本県御用 愛媛新聞」を創刊。当時、明治政府が新聞の発行を積極的に進めていたことが創刊の背景にある。現存する地方紙のなかでは、7番目に古い歴史を持つ。以降、「海南新聞」に改題し、昭和16年に「海南新聞」「伊予新報」「南予時事新聞」の3紙を統合して愛媛合同新聞社を設立し、題字を「愛媛合同新聞」とした。昭和19年に社名を現在の愛媛新聞社、題字を「愛媛新聞」に変更した。 戦後の高度成長期を迎え、テレビ等のマスメディアの需要とともに順調に部数を伸ばした。現在はインターネットの普及により、新聞を取り巻く環境は変化しているが、ケーブルテレビやラジオ、モバイル端末等の媒体を駆使して情報提供に努めている。 今後も、新聞を維持しながら、紙媒体以外の情報発信ツールも強化し、地域創生や災害対策などの課題に対して正確な記事を通して県民の方々とともに「地域を考える愛媛新聞」というブランドイメージをさらに磨いていく。漱石と子規も愛した老舗旅館まつやまの老舗会員トピックス19

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