所報7月号
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この人に聞く 去る、5月24日に開催された、当会議所女性会の通常総会において、会長を拝命しました。女性会に入会して以来、様々な活動に携わってきましたが、会長に就任するとは思ってもみませんでした。会長に推していただいた会員の皆様の想いを大切にし、2年間の副会長経験や松山大街道商店街振興組合の「ひまわりの会」の会長を務めた際のノウハウを活かしながら、明るく楽しく活動ができる女性会を目指して、職務を全うしたいと考えています。会員の皆様の想いを大切に…――事業について教えてください。歴史に名を刻む児玉写真館 児玉写真館は、内子町出身の祖父にあたる児玉善八が明治時代に創業しました。祖父は、当初、医師を志しており、宇和島で西洋医学を学んでいましたが、その折に、写真の技術を習得したそうです。当時、カメラが珍しかったこともあり、写真の仕事を依頼されることが増えたため、写真館を開業したとのことで、当初は、写真館に撮影に来られる方が多かったようです。戦後、たばこや袋物の取り扱いを始めました。また、高度経済成長やバブルの時代は、商品もよく売れました。その後、結婚式場や学校など、外での撮影も増えていきました。現在は、デジタルカメラも普及したことから、写真館で撮影する方は少なくなりました。時代は大きく変わりましたが、写真という文化がなくなることはないと思っています。最近は遺影の撮影なども増えており、こうした新しい写真文化に対応していきたいと考えています。また、当写真館は、歴史的に価値のある佇まいであったのか、多くの文献に外観の写真が掲載されています。その中でも、愛媛県歴史文化博物館では、館内展示に「戦前の松山大街道の街並み」が再現されていますが、当写真館が復元されています。「おもてなしの心で豊かな社会を築く」〜 女性が活躍できる地域社会を目指して 〜松山商工会議所女性会会長 (株式会社 児玉写真館ビル 代表取締役社長) 児玉 照子 氏家事・子育てとともに事業に携わる――プロフィールを教えてください。――当会議所女性会の会長への就任、おめでとうございます。 出身は松山市です。松山東高校を卒業後、旧日本勧業銀行に入行し、結婚するまでの7年間、銀行の事務に携わりました。就職する際は、15時に銀行が閉まるため、早く帰れるものと思っていましたが、当時の銀行は現在と違いほとんど手作業であり、夜遅くまで働いたことを覚えています。当時の上司や先輩方の教えが今日の社会人としての根底になっていると思います。華道や茶道、料理などの花嫁修業にも励み、大街道の商家である児玉写真館に嫁ぎました。お正月や土日の休みもなく家事と子育てをしながら働きましたが、夫の協力を得て、仕事の合間に息子達と海外旅行に出かけたり、趣味やスポーツなど喜怒哀楽を共にしました。夫亡き後は、四代目の息子が私の大きな支えです。愛媛、松山を訪れる方におもてなしを提供――女性会の活動方針について…この人に聞く2

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