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弘法大師
(774〜835)真言宗の開祖
讃岐の国に生まれる。若き日に山岳修験者として、四国の各地で修行をした。その後、中国の唐にわたり、密教をおさめ、帰国後、真言宗をうちたてる。四国遍路は平安時代頃からはじまったもので、弘法大師の修行の地を巡礼する行である。
石手寺裏山に建つ弘法大師像。
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一遍上人
(1239〜1289)時宗の開祖
鎌倉時代から室町初期にかけて、わが国で最大の信者を得た時宗の開祖。道後宝厳寺の地に生まれる。ただ南無阿弥陀仏と唱えると救われるというもので、全国を遊行し、すさまじいまでのさすらいの旅に明け暮れて、札配りと踊り念仏を行った。寺を持たず、宗派を立てず、何もかも捨て切った人生だった。
宝厳寺には木造一遍上人立像(国指定の重要文化財)が安置。
境内には一遍の「旅衣木のねかやのねいつくにか 身をすてられぬところあるへき」 の歌碑がある。
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衛門三郎
四国遍路のはじめといわれている伝説上の人物。托鉢にきた弘法大師を邪険に扱ったところ、三郎の8人の子どもが相次いで死亡した。三郎は子どもの供養と大師にわびるために四国巡礼を重ねた。21度目の巡礼で大師にめぐりあい、許しを得て安らかに息を引きとったといわれる。
四国霊場第51番札所石手寺にある衛門三郎の像。
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額田王
(生没年不詳)
万葉前期を代表する女流歌人。女帝の斎明天皇が、百済救援の途中、伊予の湯に滞在。温泉近くの港(熟田津)から船出をするときに、女帝の傍らにいた額田王が詠んだ歌「熟田津に舟乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな」は有名。熟田津の位置をめぐっては今も論争が続いている。
護国神社西隣の万葉植物苑上にある 「熟田津に・・・」の句碑。
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