所報5月号
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20コラム『坂の上の雲』のまち松山『坂の上の雲』のまち松山 今回の解説板は、子規堂です。松山市の中心部、末広町の正宗寺の敷地内にあります。この子規堂は、子規の生い立ちの家を模したもので、中には子規が使っていた机や遺品が展示されています。また、正宗寺には、子規堂の他にも、正岡家累代の墓、子規居士髪塔など子規にゆかりのあるものが数多くあります。また、坊っちゃん列車や虚子の句碑も設置されています。 この正宗寺ですが、当時の住職である仏海は子規の俳友だったそうです。明治元年に松山で生まれ、「一宿」と号し、正宗寺でたびたび句会を開きました。昭和21年にホトトギス六百号記念会が行われたことも句碑に残されています。正岡家累代の墓は先月号で紹介した法龍寺にありましたが、昭和2年、子規の母、正岡八重が逝去された折、松山に分骨を納めるに際し、住職の仏海が熱望し、正宗寺に墓碑が建立されることとなり、移されたものです。 今はコンクリートのビルが立ち並ぶ、松山の中心地である末広町ですが、正宗寺の中は、子規堂をはじめ、明治の松山を体感できる雰囲気と風景が残っている貴重な場所になっています。COLUMNコ ラ ム

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