所報11月号
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20コラム『坂の上の雲』のまち松山『坂の上の雲』のまち松山 今回の解説板は、大原観山住居跡です。千舟町通から松山中央郵便局へ向う道沿いにあります。大原観山は、松山藩士、加藤重孝の次男で、本名を有恒といいます。姉の嫁ぎ先である大原家に子どもがいなかったため、養嗣子となります。観山は、江戸の昌平黌に学び舎長をつとめ、明治維新で苦境におかれた松山藩の救済に大きな功績を残した人物です。廃藩後は、この地に私塾を開きました。 観山の長女、八重が正岡家に嫁いで生まれた子が子規です。観山は、初孫であり幼い時に父親を亡くした子規を大変可愛がりました。私塾でも、子規と三並良だけは門人に任せず、自らが教えました。自身が病に倒れた後は、藩の儒学者であった土屋久明に指導を依頼したほどです。金銭には無関心で、生涯貧しい生活を送っていました。ある年末、借りたお金が返せないため、金貸しが手洗鉢を持って帰りました。三男の恒忠は、米つきなどの賃仕事をして、手洗鉢を取り戻しましたが、観山は「だれに頼まれてそんなことをした。そんなケチな根性で行く末出世できるか」とひどく叱ったそうです。その三男は、観山の生家を継いだ加藤恒忠(拓川)で、松山市長を務めました。 河東静渓や大原観山などの素晴らしい教育者が、富や名声を追わず、郷里で子弟の育成に尽力したことで、松山は子規をはじめ多くの偉人を輩出できたのではないでしょうか。 ※(子規の再従兄弟)COLUMNコ ラ ム※

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