所報2月号
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20コラム『坂の上の雲』のまち松山『坂の上の雲』のまち松山№17№17 今回の解説板は番町小学校のすぐ近くにある「きどや旅館跡」です。夏目漱石が松山に赴任した際、宿泊した旅館で、小説「坊っちゃん」に出てくる「山城屋」のモデルになったと言われています。現在は、民家となっていますが、当時の面影を感じることができます。 当時、きどや旅館は松山でも第一流の旅館だったようです。また、明治生まれの教育学者であり、国立教育研究所所長や北海道教育大学長などを歴任し、日本の戦前戦後の幼児・障害児教育などに大きな影響を及ぼした城戸幡太郎の生家でもあります。旅館は、大洲藩士であった城戸幡太郎の祖父が維新後に始めたもので、屋号を「大州館」としていました。宿泊客に「大」よりも「岱」の方が趣があると勧められたことから、別名「岱州館」と呼ばれていたようです。戦後は愛媛初と言われたフランス料理専門店もこの地にありました。 小説の中で、「坊っちゃん」は「山嵐」にすすめられて、「山城屋」から「町はづれの岡の中腹にある至極閑静な家」に移ります。漱石の足跡を追うと、きどや旅館を後にし、現在の萬翠荘前となる「愛松亭」に移ります。漱石が「裁判所の裏の山の半腹にて眺望絶佳の別天地」と表現しており、こちらも小説のモデルになったようです。数ヶ月間、ここに下宿した後、愚陀仏庵に移り、子規との共同生活がはじまります。愛松亭は現存せず、石碑と漱石の書簡碑が残されています。この場所からは、赴任先の松山中学が一望できたようです。COLUMNコ ラ ム萬翠荘前 愛松亭跡

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