所報2月号
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句碑が建立されています。俳都松山の神社として、句碑や歌碑のほか、自作の俳句や社訓などを氏名・社名・家紋・社紋とともに刻んだ句碑玉垣が540基設置されています。椿神社は、昔を伝えるだけではなく、愛媛・松山の伝統と文化を次代へつなぐ役割も担っています。 旧暦の1月7・8・9日の三日間に開催される「椿まつり」は全国から約50万人の参詣者があります。参道に並ぶ出店は、昔、物々交換が行われていたことがルーツになっているそうです。 当時、咲き始めの椿が植えられたのかもしれません。 また、歴史との関係では、愛媛という県名は、明治時代、当神社の御祭神の一柱、愛比売命から名付けられました。 冒頭の句は、正岡子規が椿まつりを詠んだもので、境内に賽銭のひびきに    落る椿かな  子規表紙絵を訪ねて〜神代の昔をめぐる〜第1回「居相町 伊豫豆比古命神社」 愛媛・松山は日本最古の温泉を有し、古事記にも伊予の名を見ることができる歴史ある地です。それを伝える神社をめぐり、あらためて伝説を紐解くことで、神代の昔と今をつなぎます。▲正岡子規の句碑(写真右側) 本年の表紙絵は、松山の神社を描きます。当コラムも「神代の昔をめぐる」をテーマに、松山の神社とその歴史をご紹介します。 第1回は、居相町の「伊豫豆比古命神社」です。「椿神社」として親しまれ、二千数百年前から、縁起開運・商売繁昌の神様として、広く崇敬されています。 椿神社と呼ばれる由来は定かではありませんが、伝説によると神社周辺は海原で津(海の意)の脇の神社、「つわき神社」が「つばき神社」と訛ったという説、附近一帯に群生する藪椿の印象から「椿神社」になったとの伝承があります。▲俳句が刻まれた句碑玉垣コラム22

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