所報5月号
21/28

事業所概要文化財に指定された旧本社ビル昭和40年ごろの薄墨羊羹代表者:一色 昭造所在地:松山市高浜町5‐2259‐1    松山観光港ターミナル内TEL:089‐951‐0128石崎汽船(株)創業200周年を目指して…本業の海運業を通じ、地元の人の役に立てる企業で有り続けます。代表者:中野 英文所在地:松山市井門町1331‐1TEL:089‐958‐3355(株)中野本舗石崎汽船(株)当所会員創業記念表彰を受賞された会員のみなさんをご紹介します。150創業周年創業周年明治7年創業経営環境の変化を受け入れ航路を守る伝統の味の継承と革新の心事業所概要メッセージ先祖に感謝し、これからも高品質なお菓子をつくり続けて、お客様に安心と満足を提供していきたいと思います。メッセージ文久2年創業  石崎汽船は、江戸時代、松山藩から依頼を受けて、大阪や京都に米1400石を運ぶ廻船問屋として創業した。明治時代には、松山・広島間、松山・尾道間の航路を開設した。昭和40年代の高度成長期、瀬戸内海航路は黄金期を迎える。一転、瀬戸大橋開通、しまなみ海道の整備により多くの航路が廃止。さらに、平成20年の高速道路料金制度の見直しにより、瀬戸内海の事業者の多くが廃業や航路縮小を余議なくされた。 現在、経営を担う一色昭造氏は、「地域になくてはならない、海の公共交通機関として航路を守り続けている」と強い使命感を持つ。昭造氏は、緊急性のある血液輸送を行うほか、昨年4月に松山・小倉間の航路を開設。また、登録有形文化財に指定されたビルから現在地に本社機能を移転するなど、積極的な経営を展開している。今後も創業200周年を見据え、四国松山と本州を結ぶ瀬戸内海航路を守り続けていく。 古くから愛され、松山銘菓の一つに数えられている「薄墨羊羹」。その味を伝える中野本舗が創業140周年を迎えた。 中野本舗の歴史を紐解けば、様々な調査や残された数少ない資料によると、創業は江戸時代中期から後期にかけて・・・と推測されている。同社は、松山の郷土史で明治7年に羊羹を売っていたという記述があるため、その年を創業年としている。また、一説によると、徳島藩主であった蜂須賀公にも献上していたという歴史もあるとか。 以前は羊羹以外のお菓子も提供していたが、先代から、羊羹一筋となる。看板商品の薄墨羊羹は、原材料にこだわり、同じ味を受け継いでいる。同じ味でお客様に提供しつづけることの難しさを実感しながら、毎日心を込めてつくっているそうだ。現在は餡子を軸とした新しいお菓子も展開。「伝統文化を継承しながら常に改革の心をもつこと」を社訓に加え、時代に求められるお菓子をつくり続けていく。140(株)中野本舗会員トピックス19

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer10.2以上が必要です