所報7月号
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の文化人が訪れ、様々な詩歌が残されています。境内の西側には、その代表とも言える額田王の熱田津の歌を刻んだ碑があります。そして、その周辺一帯を慰霊のため植物園にしようと、県内外から、万葉集に詠まれた植物を集めた万葉苑があり、植物学者など多くの方の協力で運営されています。護國神社は社のみならず、古からの歴史、そして想いを碑に刻み、植物とともに次代へ伝えるという神聖な場所となっています。  護國神社の境内の奥には、25もの慰霊碑や顕彰碑が建てられています。歩兵第二十二連隊から自衛官まで、国防や公務に殉じられた方々の碑となっています。石に刻まれた遺族の想いは、年月を経ても風化することなく、慰霊にとどまらず戦争とは何かを、今の私たちへ伝えています。平和な日本の礎を築くために犠牲となった先人にあらためて、手をあわせたいと思います。 また、伊予の地は、万葉集の時代から多く「熱田津に船乗りせむと…」碑に想いと歴史を刻む社表紙絵を訪ねて~神代の昔をめぐる~第5回「御幸一丁目 護國神社」 愛媛・松山は日本最古の温泉を有し、古事記にも伊予の名を見ることができる歴史ある地です。それを伝える神社をめぐり、あらためて伝説を紐解くことで、神代の昔と今をつなぎます。▲静かに佇む慰霊碑や顕彰碑 今回のコラムは、御幸一丁目にある愛媛縣護國神社です。明治戊辰の役から大東亜戦争終結に至るまで、国難に殉じられた愛媛県出身の英霊をはじめ、愛媛県の産業文化に貢献した功労者、消防・警察・自衛隊公務殉職者など、49,726柱を御奉斎している神社です。 明治32年私祭招魂社として創建(現松山東署付近)され、昭和14年、内務大臣指定の護國神社となり、現在の地へ遷座。昭和20年7月、戦災により焼失したものの、昭和30年10月、現在の社殿が竣工しました。▲熱田津の歌碑コラム22

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