所報9月号
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事業所概要昭和48年 本店を200坪に拡大昭和4年頃の花園町の店舗代表者:田中 幹生所在地:松山市大街道2‐3‐12TEL:089‐941‐2500(有)タナカ「顧客の利益」「社員の利益」「会社の利益」3つの利益向上を経営理念と考え、「お客様・地域・社員」の幸福を得るよう努力し続けます。代表者:永江 弘喜所在地:松山市問屋町2‐11TEL:089‐922‐2480(有)タナカ当所会員創業記念表彰を受賞された会員のみなさんをご紹介します。100創業周年創業周年大正3年創業顧客につくすことで成長した100年100年間チャレンジし続ける老舗に・・・事業所概要メッセージご愛顧をいただいている皆様に感謝し、何年経ってもチャレンジ精神を忘れずに絶え間なく前進していきます。メッセージ大正2年創業  松山市の中心地、銀天街と大街道にそれぞれショップとギャラリーを構えるタナカが創業100周年を迎えた。大正2年、高知県宿毛市で柳行李を使用した鞄を製造・販売する旅行具商として創業。昭和32年、第一号の支店となるタナカカバン店銀天街店を開設した後、次々と店舗を開設。昭和40年代には海外ブランドウェアからシューズ、アクセサリーへと業容を拡大した。 社是に掲げる「お客につくして豊かになろう」をモットーに地域やお客様に対する配慮を欠かさない。昭和62年にはギャラリータナカを設置。美術関係や新作発表の場と貸ギャラリーとして提供し、多くの個展を開催している。 現在経営を担うのは3代目となる田中幹生氏。創業から受け継がれるのれんを守り続け、常に先の時代を見据えた経営を心掛けている。地域・お客様とともに成長してきた同社は次の100年に向かって歩を進めている。 大正3年3月3日。100年続く永江商事が花園町にオープンした。事業は糸商。日本の経済が拡大する中、事業も順調に大きくなった。しかし、3代目となる先代が太平洋戦争から戻ると、松山大空襲のため、店舗も含め松山の中心部は焼け野原となっていた。あらためて喜与町で事業を再開、大街道、問屋町へと高度経済成長とともに業容を拡大した。先代は「堅実経営」をモットーに朝から晩まで働き、何度も商品のチェックをするなど真摯に事業へ取り組んだとか。 現在、4代目となる永江弘喜氏は、昭和60年をピークに5分の1の市場規模となった同社の厳しい経営のかじ取りを担う。モノを売る企業からノウハウを売る企業へ転換し、中四国で15分野1800人のカルチャースクールのインストラクターを養成するなど、時代にあわせた事業を展開する。社内に掲げた「8勝7敗でも番付はあがる」をモットーに、次の100年へ向け、挑戦を続ける。100永江商事(株)永江商事(株)会員トピックス19

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