所報10月号
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事業所概要昭和34年頃の店舗風景昭和35年頃の店舗(初代の葬儀)代表者:芳野 俊一所在地:松山市和気町1‐117‐3TEL:089‐978‐0116萬国堂これからもお客様を大事にし、感謝の心を持って精一杯お菓子をつくり続けていきます。代表者:林 安俊所在地:松山市土橋町14‐1TEL:089‐945‐0808萬国堂当所会員創業記念表彰を受賞された会員のみなさんをご紹介します。100創業周年創業周年大正2年創業100年変わらないお菓子を提供覚悟を決めて商売をした100年の歴史事業所概要メッセージ地域の人に支えられ、今後も地域の人とともに成長していきます。メッセージ大正2年創業 和気地区でお菓子をつくり続ける萬国堂が100周年を迎えた。創業した明治の終わりは「坂の上の雲」の精神で人々が前を向いて歩んでいた時代。その中で、同店もお菓子づくりをスタート。看板商品の「うすかわまんじゅう」は創業当時から100年続いているお菓子。現在も、店内で小豆を炊いて餡子からつくる創業当時と変わらぬ製法で、伝統の味を受け継いでいる。餡子を虎の縞模様のような生地で包んだ「とらまき」は終戦時、地域の人々の空腹を満たしたとか。 現在は、三代目の芳野俊一氏がのれんを守る。18歳から事業を承継、50年になる。当初は小豆を均一に炊くことが難しかったが、今では毎回同じに炊き上げることができるそうだ。 ネット通販でもお菓子が買える現在、お菓子の売り方は大きく変わった。時代の移り変わりとともに競争は激化しているが、今後も体力が続く限りお菓子をつくり続け、心温まる商品を提供していく。 大正2年、青果問屋「マルハ青果」として創業。昭和初期には、多くの農家が青果物を持ち込み、売買が盛んに行われていたとか。終戦後、加工販売設備の建設や卸売場の拡張、水冷式冷蔵棟設備の設置など、青果物の生産出荷時期以外での販売を可能としたことや、筍の缶詰製造など、多くの先進的な取り組みにより事業を拡大した。しかし、昭和33年に不慮の事故により、2代目の清孝氏が亡くなり苦しい時代を迎える。昭和44年に現代表の安俊氏が事業を継ぎ、再構築に成功した。昭和48年に松山市中央卸売市場の設立のため、青果卸売業務の営業を譲渡。昭和50年以降は、不動産業をはじめ、学習塾、コンビニエンスストアなど事業の多角化を図った。 安俊氏は、長年続けてこられた秘訣として「常に万が一の事態を想定し、『覚悟』を決めて商売してきたこと」と語る。厳しい時代を乗り越えてきた同社は、次の100年へ歩を進める。100(有)マルハ興産(有)マルハ興産会員トピックス19

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