所報3月号
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古代から中世まで 松山の中心からその   歴史を今に伝える 松山にある遺跡を巡る表紙絵を紹介する本コラム、今回は、東石井にある東山古墳公園です。 東山は、松山市の中央部にあり、『伊予国風土記』にも記されている、天山近くの丘陵で、東山、天山、星岡は「伊予三山」と呼ばれています。この周辺には、弥生時代から古墳時代にかけての遺構が数多くあり、古くから開けていたことがわかります。古墳についても、現在は宅地化されていますが、全体で30基以上の住民の憩いの場として公園が整備されており、山頂にある展望台からは、古代と変わらず、松山平野を一望することができます。 先月号でご紹介した松山市考古館では、3月22日まで行われている特別展「古墳時代のおそうしき」において、東山古墳群の2号墳から発掘された人骨や副葬品(右写真)を展示しています。古の先人は、現代の私たちに何を伝えるのか、ぜひお立ち寄りください。古照遺跡の堰古墳が造られています。 東山の古墳群については、昭和53年に初めての発掘調査が行われました。当時の調査では、1号から8号の古墳と、壺棺墓などが発掘されました。特に2号墳は未盗掘であったことから、最後に追葬されたと考えられる、良好な状態で保存された人骨が発掘されました。頭蓋骨には朱が塗られており、今もその形を留めています。また、歯牙の鑑定からは、6人分の遺体が納められていたと考えられています。加えて、副葬品の保存状況も良好であり、四国で最大級の直刀などが埋葬されていました。 その後、東山古墳群では、第6次に至るまで調査が行われ、縄文時代から中世までの貴重な遺物が発見されています。現在は、東山には古代からの手紙第3回「東石井 東山古墳公園」第一次発掘調査時の東山古墳(松山市文化財調査報告書より)東山古墳群の2号墳から発見された朱が塗られた頭蓋骨と副葬品コラム22

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