所報6月号
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空港に続く幹線道路に 流れていた川と人の  営みを伝える遺跡… 表紙絵の遺跡を紹介する本コラム、今回は、松山市南江戸町にある古照遺跡です。 1972年、下水道中央浄化センターの建設工事中に発見された遺跡で、当初、「弥生時代の住居ではないか」と報道されたことで、日本全国から注目を集めました。その後の調査により、1500本の木材が発掘され、住居ではなく、「堰」であることが判明しました。堰の機能は、流水をせき止めるものであり、規模が大きいことや周囲には水田遺構が見られるため、農業灌漑用されていた木材には、高床式建物の部材が含まれていました。その部材の資料をもとに、松山市考古館敷地内に、高床式建物が復元されています。 発掘現場となった南江戸公園には残念ながら、この場所に遺跡があったことを標すものはありません。今では、この地に河川があったことは想像できませんが、川は大きな道路に、水は車に置き換わりました。松山を支える大動脈であることに、今も変わりはないようです。用の堰として構築されたものと推測されています。古照遺跡は非常に良好な保存状態であったことや、全国から注目されたことで、日本を代表する研究者によって調査が行われました。そのため、当時における最新の調査や保存作業が行われた結果、その後の発掘調査にも大きな影響を与えることになりました。また、発掘時の一般公開の際には、8千人を超える見学者が訪れています。 2月号の当コラムでも紹介しましたが、松山市考古館では、古照遺跡の堰を復元・展示しています。堰の木材は、当時の最新技術による薬剤保存処理が行われており、発掘当時の状態で展示されています。また、古照遺跡の堰に使古代からの手紙第6回「南江戸公園 古照遺跡」松山市考古館に展示された「堰」古照遺跡を参考に復元された高床式建物コラム22

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