所報1月号
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大正14年創業  ワタナベ商事   入居者の方々に安心して生活していただけるよう、誠心誠意尽力して参ります。入居者とのふれあいが事業の歴史90 初代、渡部芳太郎氏が、農機具及び飴製造販売業を開始。2代目の隆太郎氏は、固飴やぎょうせん飴を製造・販売し、縁日等で売れ、商売は繁盛し、夫婦で事業の礎を築いた。 戦災で建物は焼失したが、終戦後、3代目の行孝氏が、シベリア抑留後にアメ工場として建設。その後、同建物を区切り貸店舗として提供した。当時の入居者で、事業に成功された方の社名などを見聞きすることが事業の励みになっているとか。行孝氏当会議所会員創業記念表彰を受賞された会員のみなさんをご紹介します。は、現在の駐車場に下宿屋もオープンし、土地を活用した事業に取り組んだ。 4代目の一氏は、当時は少なかった家族向けの広い間取りのマンションを建築。パイロットの入居者が転居の際に航空写真で同社を撮影したり、東京から来た大学の先生が、松山で結婚式を挙げ、久万高原町の木材で東京に家を建築し、現在も交流が続くなど、入居者とのふれあいがある。 現在は、5代目の一行氏が受け継いでいる。これからも、入居者とコミュニケーションを大事に、事業を営んでいく。メッセージ創業 周年事業所概要代表者:渡部 一行所在地:松山市木屋町3-7-1TEL:089-924-1326昭和35年頃の入居者の風景昭和10年創業やすもと商店これからも地域の方々のため、身体の元気を保ち、営業を続けて参ります。平成元年の店舗前、2代目久雄氏地域になくてはならない商売80メッセージ創業   周年事業所概要代表者:安本 ミネ子所在地:松山市高砂町2-2-1TEL:089-925-1771 「地域の便利屋」と自負するやすもと商店。同店は、初代・芳太郎氏が八百屋として創業。当時、松山市土橋にあった市場で仕入れた野菜をリヤカーに入れ、売り歩いた。野菜に限らず、豆腐や味噌の量り売り、漬物の切り売りを行うなど、現在のスーパーの原形となる小売を行い、「地域の台所」という役割を担ってきた。 2代目・久雄氏が事業を継いだ頃には、スーパーなど大型小売店が増加し、個人の小売店にとって厳しい時代が訪れるが、時代の変遷に臆することなく、さらに地域に役立つ業種に挑戦するため、クリーニングの受入れや切手販売、宅配便の集荷などを始め、地域になくてはならない「便利屋」としての地位を確立した。 現在3代目を務めるミネ子氏は、夫の久雄氏から店を引き継ぐか、思い悩んだとか。その時に、地域の方々の「閉店しないで続けてほしい」という多くの声に励まされ、引き継ぐことを決心した。 今後も、地域に必要とされ、住民のコミュニティの場であるとともに、なくてはならない便利屋として精進していく。まつやまの老舗会員トピックス23

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