所報4月号
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 今回のコラムは、重信川水系に属し、石手川の最も大きな支流にあたる小野川です。平井町までは県道沿いに流れた後、松山平野を横切り、石手川と合流して伊予灘に至ります。上流はゲンジボタルが生息する清流です。 今回の表紙絵は中流付近の天山橋がかかっている場所です。ここで、川附川と合流して水量を増やし、勢いがつきます。天山橋の下のたてぶちせき「縦淵堰」は、1606年に森太郎左衛門宗勘が最初に作ったもので、この堰が当地区を潤し、発展の礎になったと伝えられています。このことから、中世まで小野川は「縦淵川」と呼ばれていたようです。 また、川べりに、4月の2日まで、黄色のハンカチが並べられていました。「星岡おやじの会」が行っているもので、地震発生の際に、「黄色いハンカチ」を郵便受けにはさんだり、ベランダなど外から見えるところにぶら下げます。これは、「家族は全員無事です」ということを伝えるもので、短い時間で安否確認ができます。東日本大震災の時にも効果を発揮した取り組みで、その普及を図るため、小野川沿いにハンカチを掲げていました。地域の大きな恵みにもなり、一方、脅威にもなる川。小野川は、その教えを地域の住民に伝えているようです。第4回 「東石井 小野川」松山平野を流れる川が伝える自然の恵みと脅威とは松山平野を流れる川が伝える自然の恵みと脅威とはコラム23

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