所報10月号
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坂本 光司/さかもと・こうじ 1947年生まれ。福井県立大学教授、静岡文化芸術大学教授などを経て、2008年4月より法政大学大学院政策創造研究科(地域づくり大学院)教授、同静岡サテライトキャンパス長。他に、人を大切にする経営学会会長はじめ、国や県、市町、商工会議所などの審議会・委員会の委員を多数兼務している。専門は中小企業経営論・地域経済論・産業論。著書に『日本でいちばん大切にしたい会社』(あさ出版)、『この会社はなぜ快進撃が続くのか』(かんき出版)など。坂本光司法政大学大学院政策創造研究科 教授 学べに快進撃企業快進撃企業 1990(平成2)年当時、着物の小売市場規模は1兆5000億円程度あったが、それ以降年々減少し、今や約2750億円となっている。このことは、織物の産地として栄えてきた新潟県十日町市でも同様で、560億円あったピーク時の生産額が、今や40億円にも満たない。その主たる原因は、少子高齢化に伴う市場の縮小や西洋文化の進行に伴う着物離れと業界では考えてきた。 しかしながら、「株式会社きものブレイン」社長の岡元松男さんらは、衰退の最大の要因は市場の縮小ではな「着物のトータルサービス業になった『きものブレイン』」く、供給側の問題と考えたのである。そして、次から次へとこれまで存在しなかった新しい価値を創造提案してきた。その結果、同社は業界の著しい衰退傾向とは逆に、右肩上がりにその業績を伸ばしている。 同社は、現社長である岡元社長と、その妻、岡元真弓副社長で創業した。二人は脱サラし、当初、呉服商を経営していたが、その中で着物に関するさまざまなニーズやウォンツの存在を知った。例えば、ある顧客から「着物を着てもお手入れができないため、大切な着物は汚さないようにできるだけ着ないようにしている……」と言われたことなど。ショックを受けるとともに、呉服商として売りっ放しではなく、販売した商品にトコトン責任を持つ必要性に駆られた。 このことがきっかけで、岡元夫妻は1983年、着物を販売するだけではなく、着物のアフターケアやビフォーケア事業に乗り出していく。アフターケア事業とは着物の着用後の染み抜きやかけ直し、さらには丸洗いなどであり、ビフォーケア事業とは仕立て前の反物の修正やガード加工(撥水加工)などである。また、着物の縫製職人の激減や価格志向の強い顧客の要望に応えるため、ベトナムのホーチミン市に直営工場を設立し、着物の安定供給にも注力した。 こうした経営スタイルは、当時の業界の常識からいって非常識そのものであったが、岡元夫妻は「何が正しいか、何が正しくないのか」を決断軸にし、努力を重ねた。その結果、7年間赤字経営であったが、その後ゆっくり着実に動き出し、現在、社員数286人、売上高27億円、約1万4000の呉服店と取引する、全国最大規模の「着物のトータルサービス企業」にまで成長・発展したのである。 先日、機会があって、新たに建設された「きものブレインファクトリー」を見学させていただいた。企業とは改めて「市場創造業」であると実感した。vol.58コラム16

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