所報7月号
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化粧品を親から子へとつなぐ老舗木と培った技術で地域の産業を支える 「化粧品といえばフジカワ」と言われる、化粧品専門店フジカワ。創業者の藤川梅吉氏は、「藤川商店」の屋号で、卸商を営んだ。当時は朝鮮半島で仕入れた、紅やおしろい、くし、かんざしなどの小間物を四国各地で卸していた。 梅吉氏の逝去後は、息子の洋氏が事業を継承し、化粧品やアクセサリー、おもちゃ、雑貨などを取り扱っていた。当時、東京に在住していた洋氏の妹の幸子氏が現地で仕入れた流行のアクセサリーなども販売していた。口コミで評判が拡がる中で、来松していた大手化粧品メーカー社長の目にとまることとなる。これを契機に、国内大手メーカーの化粧品の販売を始め、事業を特化した。 3代目の俊介氏は、車の普及を見込んで、ショッピングモールへ出店し、業容を拡大した。湊町の本店は、俊介氏の娘の由加子氏が店長を務め、お客様にぴったりの化粧品やメイクを提案している。異なる会社のものを「比べて、選べて、試せる」ことが強みになっている。現代表は由加子氏の夫の正英氏。SNSやオンラインショップなど、新たな取り組みを行っている。現在もフジカワの評判は高く、郊外や県外からもお客様が訪れている。親子三代で通っているお客様もいるほどだ。 今後も流行の先端を見つめ、新たな挑戦を続けていく。 瀬村製材所は、大正10年、農機具の製造からスタートした。その後、農機具に使われる木材を焼玉エンジンを使って製材するようになり、製材業へとシフトした。久万や湯山の木を製材して近隣や島の大工に渡したり、大阪の市場に送ったりしていた。また、和気小学校の木造校舎を請け負い、完成させた。 三津浜港は、戦前から外材の輸入港で、同社も戦前から輸入材を取り扱っている。戦後、大型の製材機を据え、外材の大径木を製材できるようにした。特に熱帯地域で産出される南洋材を得意樹種としてきた。南洋材は、国産材に比べて強度や耐久性が高いことから、住宅資材・合板などに使われていた。時代とともに代替材が増え、住宅に使用されることは減ったものの、トラックの荷台床材等では今も重宝されている。同社は、南洋材を取り扱う松山で唯一の企業であり、多くの企業から相談が寄せられる。 また、太くて長い木の製材ができることも同社の強みだ。西条市の四国鉄道文化館の湾曲丸柱のほか、愛媛県武道館建設の際は、直県産の杉丸太を八角形に製材した。近年は、ホームセンターの台頭で木材の小売業者が減ったため、島しょ部などの要望に応えるべく、木材の小売も行っている。 これからも地域密着型の経営を続け、製材を通して地場産業を支えていく。径80cm、長さ12mもある昭和41年の店舗昭和22年頃の写真17創業110周年創業明治45年創業メッセージ大正10年創業メッセージ事業所概要代表者:所在地:TEL:藤川 正英松山市湊町4-6-9089-945-5112事業所概要代表者:所在地:TEL:瀬村 要二郎松山市住吉1-7-11089-952-3939110年を迎えられたのは皆様のおかげです。今後も信頼してくださる方々のために頑張っていきます。お客様からの信用第一で、1つ1つ確実に、決めた以上は必ず遂行することを心掛けています。会員トピックス100周年(株)フジカワ(株)瀬村製材所

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