所報8月号
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硝子を通してお客様のニーズに応えるお客様のためにつないだ松山の味 暮らしの空間づくりに欠かすことのできない硝子を取り扱う吉村硝子。開業当時、硝子屋は建設現場に赴き、建具屋が作った窓の木枠に硝子をはめ込むのが仕事だったのだが、昭和40年頃からアルミサッシが普及し始めるとサッシの組み立てと硝子のはめ込み作業を一貫して行い、現場へ納入するスタイルへと変化した。現在は硝子やサッシだけでなく、エクステリア関係の仕事やキッチン、お風呂等の住宅設備の販売も行っている。 現在、4代目を担うのは、河野行信氏。3代目の吉村正典氏が、高齢になり、事業を後世に残していきたいと考え、河野氏が代表取締役専務を務めるマルマストリグが経営を引き受けることとなった。河野氏は社長就任後、仕事の効率化と働き方の改善を図るほか、提案業務や付加価値づくりに取り組み、お客様に、より良いものを提供できる環境づくりを進めている。加えて、何よりもお客様を大切にするという昔からの風土を守り続けている。 「吉村硝子は今でも昔ながらの職人の技術に支えられており、個々人の能力が高い。だからこそ、組織としての団結力を高め、お客様に精度の高い製品を提供していきたい」と河野氏は語る。 昔からの社風を大切にしながら、現在のお客様のニーズに応えていけるよう、進化を続けていく。 まつやまの味として市民から愛されている労研饅頭。もとは倉敷の労働科学研究所で中国の饅頭を日本人向けに改良した製品。松山では初代の竹内成一氏が「夜学生に学資を」と松山夜学校奨学会で製造を始めた。その後個人事業となったが、戦時中は小麦粉が手に入らず、昭和18年には製造休止に追い込まれた。この中でも、成一氏は労研饅頭の命である酵母菌を保存し続け、終戦後、この酵母菌によって、労研饅頭の製造を再開することができた。 戦後は高度成長により、世の中が急激に欧米化し、労研饅頭の売れ行きが悪くなった。この中でも、二代目の眞氏は、何十年も買ってくださっているお客様の為にと試行錯誤を続けた。その後、自然食が見直されるようになり、労研饅頭の素朴な味わいが全国から人気を呼んだ。 現在の代表を務めるのは東京の大手食品メーカーで経験を積んだ信司氏。80周年を迎えた年に急速冷凍を導入した。こうした取り組みもあり、現在はコロナ禍の影響を受けながらも、ネット販売を活用している。コロナ禍で松山に帰ってこられない方々が、冷凍の労研饅頭をネットで購入してくれるとか。 商いを続ける中で必ず波は訪れる。その波に負けず、時代に合わせて製品の改良や新たな販売方法を切り拓き、今後もまつやまの味を伝えていく。17大正10年創業メッセージ昭和6年創業メッセージ事業所概要代表者:所在地:TEL:河野 行信松山市安城寺町1496-1089-989-0010事業所概要代表者:所在地:TEL:竹内 信司松山市勝山町2-12-10089-921-8457創業創業90周年昭和26年頃のトラック昭和6年頃の製造工場開口一番!吉村硝子開口部業界で一番を目指し、お客様から開口一番に「吉村硝子に頼もう」と言われる会社になれるよう、頑張ります。90年を迎えられたのもご愛顧いただいているお客様のおかげです。今後もまつやまの味を守り続けていきます。会員トピックス100周年吉村硝子(株)(株)たけうち

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