所報1月号
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地域の技術を支えてきた老舗製造業人を育てることで品質を高める 戦前、日本で最高の工場と呼ばれた呉の海軍工廠に、最年少の研修生として抜擢されるほどの腕前の持ち主であった、創業者の越智長一氏。戦後、食糧難が続いたことから、食に関わる機械の製造に携わりたいと考え、製麺機の切り刃の製造を開始。その後、鋳物加工、農業機械部品製造などの金属加工を手掛けた。 2代目の長次氏は、常に時代を先取りする経営を心掛けた。西日本初となる、丸棒への施削・穴あけ・ミーリングなどの加工を無人自動で行える機械を導入した。また、ボイラーや福祉機器、建設機械などの部品製造などへ業容を拡大した。 現在、代表を務めるのは、長次氏の妻、千恵美氏。先代の経営方針を引き継ぎ、創業時からの高い技術力の保持と、生産性の維持に取り組んでいる。同社は、取引先からの信頼が厚く、概ねの注文は地元の大手企業である。一方、コロナの影響による注文数の減少、材料費・光熱費の高騰など、経営環境の変化を強く感じている。また、限られた時間の中で、高い品質を保ちながら生産性を上げるという点が課題となっている。千恵美氏は、現場の効率化を図るため、新たな仕組みづくりにも取り組むこととしている。 これまで、最先端の技術導入や、新たな製品製造に取り組んできたが、創業時から続く高い品質を守りながら、今後も新たなチャレンジを続けていく。 金属加工業を営んできた三共機工が創業70周年を迎えた。創業時は「まちの鍛冶屋」として建築機械の補修などを手掛けてきた。昭和向けのボイラー部品製作に取り組み、「人を育てる」をモットーに技術を磨いてきた。高い曲げ技術と不良品の少なさなどが認められ、三浦工業の優良製造会社認定を受けている。社名の由来は創業者の栗原一郎氏が、友人ら3人で立ち上げたことによる。創業時、郊外にあった本社は時代とともに住宅に囲まれ、手狭になったため、2016年に現在地に移転。移転を機に加工機械を刷新し、簡単なコンピューター操作でより精巧な金属加工が出来るようになった。 5代目の社長である慎一氏は、20年勤めた通信システムのエンジニア職を辞めて家業を継いだ。紙ベースだった受発注をシステム化するなど、業務効率化を行い、事務作業を減らし、浮いた労力を品質アップに割いた。事務作業のシステム化に並行し、製造現場でも機械化を検討してきたが、機械による溶接では一定の品質を保つことが難しく、精度はまだまだ手作業にはおよばない。慎一氏は、「最後は人」と語り、人材育成に余念がない。今後は、次の節目に向け、継承してきた職人技と機械化の融合を進め、さらなる高品質を追求する。昭和27年創業メッセージ昭和26年創業メッセージ事業所概要代表者:所在地:TEL:越智 千恵美松山市東石井7-3-29089-956-2766事業所概要代表者:所在地:TEL:栗原 慎一松山市馬木町899-3089-909-890035年ごろから三浦工業(株)お客様のおかげで70年を迎えられました。これからも常に感謝の気持ちを持ち、謙虚な経営をしていきます。お客様と私たち自身の満足度を更に高めるため、広い視野を持って、たゆまぬ成長努力を続けていきます。20年以上使いこんできた創業70周年創業70周年会員トピックス26(株)オチテッキ三共機工(株)

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