所報1月号
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 当会議所報の表紙絵は、例年、テーマを決めて松山を一巡するが、今年の企画は、松山の温泉を巡る。本コラムは、表紙絵が題材にした温泉を中心に、その歴史や文化を紹介していきたい。第1回目は、松山のシンボルとなる道後温泉の「飛鳥乃湯泉」である。 飛鳥乃湯泉は、「飛鳥時代をイメージした湯屋。建物コンセプトは、聖徳太子の来浴や斉明天皇の行幸などの物語や伝説が残る日本最古といわれる温泉にふさわしい飛鳥時代の建築様式を取り入れている」と紹介されている(公式HP)。このように、日本最古といわれる道後温泉だが、今回は古の時代に思いを馳せて、なぜ、いつから、松山に湯が湧き、人が入ったかを、紐解いてみる。 松山にいつから温泉があったのかを正確に記録したものはほとんどないようである。また、四国には、現在活動している火山はなく、石鎚山のように火山岩からできている山もあるが、数十万年という単位で、四国で火山活動が行われた跡は残っていない。一方、四国には、数多くの温泉がある。その中でも、湧出量、温度の点で優れているのが道後温泉であり、その湯は花崗岩から湧き出ている。花崗岩はマグマが冷え固まってできたものであるが、マグマは極めて古いもので、熱源を見出すことはできない。こうした非火山性と呼ばれる温泉が、古の時代から、湧き出ていたことは全国でも珍しく、まさに、自然の恩恵である。 また、古代における道後温泉は、大和朝廷との関係が深く、皇族が来浴されたと伝えられており、「日本書紀」にも舒明天皇、斉明天皇の来浴が記載されている。これが日本最古といわれる所以で、これまでに、多くの皇族や史実に名を連ねる偉人が湯に入っており、松山の歴史にも違う意味でインパクトを与えたと思われる。 天から授かった松山の温泉は、人の暮らしや地域の成り立ちに大きな影響を及ぼしてきた。一年をかけて、松山の湯の文化を巡り、その内容をお伝えしたい。27コラム第1回「道後温泉別館 飛鳥乃湯泉」「道後温泉別館 飛鳥乃湯泉」松山の温泉の歴史自然の恩恵を受けた「湯」

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