所報5月号
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 表紙絵の温泉を巡る本コラム、今回は南久米町の「東道後のそらともり」を紹介する。南久米町の辺りは、東道後とも称され、温泉が点在する地域である。 久米という郡名は古くから存在しており、初見は、748年の「正倉院文書」の中の宗教関係文書まで遡る。この地域の中で、南久米町は、中世には河野氏の統治下にあり、近世、松平氏による松山藩領となった。現在の国道11号線になっている金比羅道に沿っていたことから、城下町への交通が便利で、金比羅参詣者も多く、また、四国八十八箇所の札所があり、四国遍路も多く行き交っていたことから、宿場町がつくられていた歴史を持つ。 この地域の温泉に関する由来は、1850年代、大地震が起きた際に、四国八十八箇所霊場の第49番札所の浄土寺から、お湯が湧きだしたと伝えられている。戦後、温泉が掘削され、現在の姿となった。 そらともりは、「空」と「宇宙」、「森」と「杜」などを表現した名称で、美肌の湯を掲げる温泉である。営業時間は朝5時〜翌25時(札止め24時)、道後、久米地区。故きを温年中無休で営業している。無料のLINE会員になれば、みては。入浴料は1,100円。フェイスタオルやバスタオル、館内着も付いており、手ぶらで来ても楽しめる。レストランも充実しており、クラフトビールも揃えるほか、半露天風呂のある宿泊施設があり、1万円〜。2階にはゆったりとした休憩スペースを有し、追加料金を支払うと宿泊できるオーバーナイトステイというシステムもあり、お遍路さんや、ツーリングのライダーなどに人気だとか。施設の入口には、松山では希少な英国アスキス社製のボンネットバスがあり、温泉のシンボルとして、撮影スポットにもなっている。 古から人が行き交い、歴史、文化を数多く有する東ね、日ごろの疲れを癒して19コラム第5回「南久米町 東道後のそらともり」「南久米町 東道後のそらともり」金比羅参詣や四国遍路をルーツにもつ東道後の温泉

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