子どもたちの教育のインフラを担う松山から世界へ・・・海上物流を担う 戦前は国が編集した国定教科書のみが扱われていたが、1947年に民間出版による検定教科書制度が導入。1948年には、小学校における教科書無償配布制度が開始され、安定的な供給を実現するため特約供給所が全国に設置された。こうした中で、県内唯一の特約供給所として1953年に同社が設立された。教育と教科書販売の視点を入れながら、安定供給を維持しており、現在は県内の取次販売所を通じて508校に供給している。初代代表は教育現場に精通した校長経験者の住田松之助。現在は、8代目となる福岡敏弘氏が代表を担う。敏弘氏は、100年以上の歴史を有する、家業の(株)緑星堂書店の代表を兼任する。 教科書の価格は文部科学省によって定められており、利益を多く得られる事業ではないが、確実な教科書供給は、子どもたちの学びに欠かせない。たとえ1冊でも足りないことがあってはならないため、災害や転校などによる急な需要にも迅速に対応している。 現在は少子化やICT教育の推進によるデジタル教科書への対応など、大きな変化に直面している。敏弘氏は「未来を背負う子供のためになる誇りある仕事」と語る。これからも築いた信頼と誇りを胸に、学校教育に貢献する。 港湾荷役という船で来た荷物を陸にあげ、陸の荷物を船に積み込むことを生業としている関西運送。最初は三津浜で住民の荷物の運送を行っていたが、太平洋戦争の勃発に伴い、国策により同業者が集結し、愛媛汽帆船(株)を設立。戦後、独立して昭和28年に関西汽帆船運送(株)を設立した。当時は神戸・大阪・松山・別府の航路があり、関西汽船と間違うことが多発し現在の社名に変更した。設立時は木造の小型汽帆船への荷役を行っていたが、現在は500トンから4万トンの大型船への荷役を行っている。積み荷の種類も変化しており、生活必需品や調味料が主だったものが海外の木材に変化し、現在は海外向けのコンテナに積んだ機械類や化学製品の積み荷を取り扱う。 清一氏から幸一氏、恒昭氏と代表が代わり、令和4年に忠士氏に事業が託された。清一氏による輸入木材への事業転換、幸一氏によるコンテナ貨物への事業転換は、同社が存続できた大きな要因である。忠士氏は、「70年守ってきた当社を自身の代で終わらせるわけにはいかない」と語る。同社は、時代の変遷に対応し、松山港の発展とともに歩んできたが、今後も、100年を目指し地域経済の発展に貢献し続けていく。昭和28年創業覚えてますか? 入学式に初めてもらった ピカピカの教科書インクの匂い 期待と不安 窓の外は満開の桜松山の港にも日本製品の輸出や海外製品の輸入を支える企業があることを知っていただければと思います。創業70周年創業当時の役員メッセージ事業所概要代表者:福岡 敏弘 所在地:松山市北持田町131 TEL:089-941-1717メッセージ事業所概要代表者:松本 忠士 所在地:松山市住吉1-7-15 TEL:089-951-1121当会議所会員創業記念表彰を受賞された会員のみなさんをご紹介します。昭和29年創業創業70周年15会員トピックス愛媛県教科図書㈱関西運送㈱
元のページ ../index.html#17