所報5月号
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来るもの拒まず・・・全ての人を救うお寺逆境を越えて地域に密着した商売を展開 人々の生活を見守るように、木屋町の一角にある曹洞宗・宝林寺。松山藩初代藩主の松平隠岐守定行公が、現在の柳井町に移した菩提寺・法龍寺を本寺として創建された。当初は御幸にある千秋寺に隣接していたが、四代藩主松平隠岐守定直による千秋寺の伽藍造営により1690年に現在の木屋町へ移転。当時、三津浜街道が宝林寺に面しており、街道を行き交う多くの人々が参詣し活気に■れていたという。 平成13年に現住職の中川法潤和尚が晋山。当時、本殿は空襲により焼失したあとに建て直されたお堂のままで、檀家数も20件程度。寺の敷地内に住居が残されており、課題は山積だった。中川住職は一般企業の営業マンから大本山永平寺での厳しい修業を経て得度した。敷地内の住民に何度も頭を下げ整備を進めたほか、金銭的にお寺で故人の供養ができない方の受け皿となるべく、市内の葬儀屋を一件ずつ■った。お客様からの依頼は絶対に断らず、全てお受けすることを信念とし、禅宗の基本精神でもある「来るもの拒まず」の理念は、扉の無い山門にも見て取れる。 中川住職は「これからは地域の三ヶ寺、四ヶ寺が力を合わせて檀家さんやお墓を守っていかなければ」と語る。宝林寺は人の営みに寄り添い、お寺の在り方を模索していく。 文化元年(1804年)、初代・加嶋屋万次が松山市萱町で砂糖業を始めた。当時、砂糖は高級品として扱われ、主に武家屋敷や庄屋への販売を行っていた。その後、明治初期に屋号を「神田砂糖店」とし、小麦粉の取り扱いを開始。昭を設立し、商品を雑穀、塩、米へと広げて事業を営んだ。 現在、8代目を務める神田定俊氏は地域資源を活かした商品開発に力を入れている。代表的な取り組みが、愛媛県産丹波種黒豆「ひめくろ大豆」である。平成16年に移転後、周囲の畑を見て黒豆復和27年に日東商事株式会社活を思い立った神田氏は、農家へ栽培を打診。大手小売業とも連携し販路を確保して、5戸の農家とともにスタートを切った。愛媛の気候や土壌が黒豆に適していたこともあり、徐々に「ひめくろ大豆」としてブランド化に成功。農家に負担をかけないよう、黒豆を毎年同一価格で買い取り、販売価格も10年間維持。生産者・流通・消費者すべてに利益が行き渡る仕組みを築いた。 神田氏は、6代目の祖父が口にした「負けてたまるか」という戦後の逆境の中での決意と、7代目の父による厳格な教育を心に刻む。幾度となく訪れた困難を、家族の覚悟と責任感で乗り越えてきたことを、現在を支える土台とし、事業をつないでいく。承応3年創建仏事のことでしたらどんなことでもご相談ください。何の躊躇も、遠慮もいりません。・目標がなければ、頑張れず。・健康がなければ、気力は出ず。・気力が出ねば、仕事にならず。創建メッセージメッセージ当会議所会員創業記念表彰を受賞された会員のみなさんをご紹介します。文化元年創業創業事業所概要代表者:中川 法潤 所在地:松山市木屋町3-2-10 TEL:089-926-6295事業所概要代表者:神田 定俊 所在地:松山市祇園町8-31 TEL:089-990-3333370周年220周年15会員トピックス宝林寺日東商事株式会社

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