「理想は高く姿勢は謙虚に」事業をつなぐ卓越した技術を現代に伝える老舗 八幡浜市において初代菊野利三郎翁が船具などを取り扱う雑貨商の菊野利三郎商店を開業。当時、商売を始めるには官の承認として鑑札が必要で、明治8年3月3日に県知事へ提出した願書が今も残っている。大正時代、第一次大戦後の不況下において、主力事業であるセメントの卸販売をスタート。業容を拡大し、現在はグループ13社でセメント販売、生コン、コンクリート製品の製造・販売、運輸、車両整備、環境などの事業を展開している。 時代を切り拓いていくためには新しい発想、行動力が必要との4代目利三郎社長(現会長)の想いから、5代目である菊野先一氏は、平成23年に40歳の若さで社長に就任した。先一氏は、創立120周年時に策定した経営理念「環境美創造」を具現化していくため、太陽光発電事業を新たに開始するほか、低炭素コンクリートの製品化と同業他社への技術・工法提供なども進めている。また、『人の命を守る基礎資材を作っており、資材を作っているのは社員。社員とその家族なくして企業は成り立たない』と考えて、社員との繋がりを大切にするとともに、ひめボス宣言など社員の待遇の改善に努めている。 先一氏の座右の銘は、先代からの教えである『理想は高く姿勢は謙虚に』。今後も、お客様を第一に考えながら、地域に役立つ会社を目指す。 ■田貴金属商の起源は江戸時代、刀の鍔や、彫り物の飾りを施す「目抜き師」を生業としていた■田家まで■る。■田家は松山藩主、松平家のお抱えの目抜き師で、卓越した技術を誇った。明治7年、■田久次郎氏が■田金銀細工店を創業。戦後、屋号を改め、戦火により焼失した店舗を三番町に移転。店先に掲げた「結婚指輪」のネオン看板が多くの人の目を引き、「結婚指輪前」というバス停が店の前に設置されるなど、まちのシンボルとして人々に親しまれる存在となっていた。 現代表の元章氏は、大学在学中に米国宝石学会宝石鑑定師の資格を当時最年少で取得。大阪の百貨店の貴金属部で修業を積み、事業を承継。当時は結婚指輪もいわゆる給料3ヶ月分と言われた時代。順風満帆なスタートだったが、バブル崩壊とともに業績は陰りを見せたことから、不動産事業にも着手。商売の多角化と安定収益の確保を図り、事業を継続してきた。 現在はメーカー品を扱わず、全て自社製品の一点もののみを販売。オーダーメイドで、唯一無二の輝きをお客様に提供している。長男への事業承継を進めており、今後もこれまでの伝統を土台にし、時代の変化に柔軟に対応しながら、地域に根差した事業を続けていく。明治8年創業お客様を第一に考えながら、誇りを持って事業に取り組んでいきます。歩み続け、10年後も変わらずこの紙面で再開できることを願っています。創業当会議所会員創業記念表彰を受賞された会員のみなさんをご紹介します。明治7年創業創業事業所概要代表者:菊野 先一 所在地:松山市大手町1-8-8 TEL:089-941-0007事業所概要代表者:■田 元章 所在地:松山市大街道1-4-7 TEL:089-921-3462明治8年の願書メッセージメッセージ継続は力なり。今後も地域と共に150周年150周年15会員トピックス株式会社キクノ有限会社■田貴金属商
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