変わり続けることで事業をつなぐ変化する時代にあわせた文具を提供 宇和島市に本社を構える株式会社カネコは、仙台藩の伊達家家臣であった金子家が、伊達秀宗の宇和島城入城に伴い移住したことに起源を持つ。先祖が趣味で花火を製造していた記録が残されており、その花火は和霊神社の奉納行事にも使われていた。 昭和26年、現会長である金子仁氏が22歳の若さで家業を継承。戦後、進駐軍のアメリカ兵がバーやキャバレーでクラッカーを使い、需要が拡がっていたことに着目し、花火製造で培った技術を応用し手作業でクラッカーを製造。夏季限定の花火に代わる通年商品の柱としてクラッカーの事業を展開した。最盛期には国内に約50社あったクラッカー製造業者も淘汰が進み、現在では同社が国内シェアの約9割を占める。同社製品の特長は、圧倒的な商品バリエーションにある。毎年3〜5点の新商品を開発している。また、変化する物流業界に対応するため、従来の問屋経由から店舗や個人への直送体制の確立に挑戦し、社内のピッキング・梱包・配送の仕組みを一から見直し柔軟な供給体制を整えている。 「唯一生き残るのは、変わり続けることができる者だけ」と語る金子会長の言葉どおり、同社は、伝統を守りながらも進化を恐れず、これからも全国の人々に笑顔を届けていく。 湊町4丁目にて和紙とお茶を取り扱う店として創業。三浦屋という屋号は、初代が大街道で別の事業を営んでいたが、事業を譲渡された際にそのまま屋号も引き継いだもの。戦後、文具を扱うようになった。最初はちり紙を並べるなど、文具らしい文具もあまりなかったが、年月を重ねるごとに取扱商品が増え、万年筆やペンを扱った。 120年の歴史の中で、転機は戦後に訪れる。戦争が終わり、世の中の生活様式が変化していき、松山にも多くの企業が設立された。様々な企業へ文具を納入することが増え、需要が拡大していき、事業は拡大した。現在は事業所への納品もしているが、メインは店舗販売となっている。 スマホ等の普及により文具の需要は変化しているが、顧客層は幅広い。創業当時から取り扱う紙も、和紙からOA用紙へと変化した。若年層の顧客は特徴のある変わったペンを探したり、ある程度の年齢の方は高価なボールペンを探したりと、それぞれが文具に対してこだわりを持って購入することが増えている。 「お客さまがいなければ商いを行うことは出来ない」そう語るのは先代夫人の紀久子氏。顧客に感謝し、丁寧な対応を心がけている。これからも変わらぬ姿勢で130周年へ歩み続けていく。明治17年創業「笑顔・感動・サプライズ」をモットーに、今後も皆様に喜んでいただけるような製品を作り続けて参ります。人と人との繋がりを大切にして必要とされる文具店を目指していきます。創業当会議所会員創業記念表彰を受賞された会員のみなさんをご紹介します。明治38年創業創業事業所概要代表者:金子 泰久 所在地:宇和島市伊吹町141-1 TEL:0895-25-1112事業所概要代表者:竹内 崇 所在地:松山市湊町3-8-9 TEL:089-941-1319社史を記す古文書メッセージ創業50周年の大売出しイベントメッセージ140周年120周年15会員トピックス株式会社カネコ有限会社 三浦屋文具店
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