リレーコラム 第25回大変革チャンスICTで『松山リボーン!』チェンジの時代にを掴む5コラム 大学生の息子が住んでいることもあり、京都を訪れることが増えました。オーバーツーリズムという負の側面もありますが、そうは言っても駅ナカから観光地の隅々まで大にぎわいの様子に、さすが世界に冠たる古都だと感心させられます。ただ、千二百年の歴史を持つ街にも、かつて大いなる危機がありました。明治維新による東京奠都(てんと)です。 首都の座を失った京都は人口が急激に減少、産業も衰退してゆきました。しかし京都の人たちは「京都再興」を掲げて立ち上がります。理化学研究の舎密局を開設、石けんやビールの製造研究、伝統産業品の改良を行い、のちにノーベル賞受賞者を出す島津製作所を設立した島津源蔵ら多くの人材を育て、京都の近代化に多大な貢献をしました。また琵琶湖疎水を日本人の手で引き、日本初の水力発電事業を開始、その電力で路面電車を走らせるなど、「京都リボーン(再生)」を図ったのでした。 わが松山を振り返ると、親藩だったが故もあり窮地に陥っていた明治初期以降、伊佐庭如矢翁らの尽力で、松山城の廃城阻止、道後温泉本館の建設、鉄道の道後延伸などが行われ、それらは今なお松山が誇る貴重な財産として受け継がれています。京都にせよ松山にせよ、ピンチをバネに再生を目指した先人たちの心意気には頭が下がります。 現代の松山に迫る大いなる危機は、ご多分に漏れず人口縮減の波です。担い手不足では、地域再生も産業振興もおぼつきません。その解決の糸口こそがICT活用、デジタル化推進ではないでしょうか。松山平野には既に光ファイバー網が幾重にも張り巡らされ、無線も従来の4G、5Gの電波に加え、地域独自のローカル5GやLPWAも面的に整備されています。目的用途によって自由に選択可能な情報通信基盤が重層的に整う、国内でも特筆すべきエリアと言えます。また県の肝いりによるデジタル人材育成も着実に進み始めています。これらを生かし切れるか否か―。百年後の子孫たちに胸を張れる「知恵と汗と心意気」を示せるよう頑張るほかありません。「松山リボーン!」を合言葉に。松山商工会議所デジタル化推進委員会 副委員長宮 内 隆
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